続・探仏記 ~探仏の旅は続く~

仏像探しに鉄馬童子は今日もゆく・・・

2012年09月

東北 vs 奈良

仏像関連の雑誌・書籍は相変わらず引っ切り無しに刊行されてる。


対決その① 東北 VS 奈良



対決その② 同じ表紙対決




対決その③ 運慶本




さすがに全部に手は出せない・・・・・

仮金堂へGO!

先日訪れた東博でこんなチラシを発見。
2009年の『お堂でみる阿修羅』展以来の公開。
大黒天・吉祥天・・・・チョイチョイ入れてくるなぁ・・・・秋の奈良行きを考えねば!

夏の風仏詩、今年の主役は康円!

昨日の続き。三井記念美術館の後は前回と同様にこちらへ


東京国立博物館




◆11室

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帰宅後、撮ってきた画像を見てビックリ・・・・・殆どがピンボケ・・・・ありゃりゃ。ということで小さくして誤魔化す。入ってすぐの半跏の①菩薩は横からのアングルもなかなか。国宝の⑦広目天(浄瑠璃寺)はいつ見ても素晴らしい、この中では一番の存在感。反対側の⑪不動明王は動きがかたい。他に画像にはないが涼しげな⑧十一面観音(薬師寺)が印象的。入口付近にあった十一面・天王・釈迦・不動はあまり覚えてない。

メインは定朝様の⑫阿弥陀如来、取り巻きの⑬四天王。阿弥陀は地味な印象ながら穏やかな顔立ちで癒し系。一方の四天王は画像ではまったくわからないと思うが、動きが生き生きとしたリアル仏、文化庁所蔵ということだが、まだまだ未公開仏のストックがありそうだ。



◆14室 運慶周辺と康円の仏像

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東博・夏の風仏詩である慶派祭(勝手に命名)。レギュラーの①②大日如来×2躯(運慶・作)は、快慶・大日如来を見てきた後だったが、大きさが異なるのであまり比較する感じではなく、こちらはこちらで個性的。④十二神将は全部揃ってないので今ひとつだった・・・・今回展示がなかった旧・浄瑠璃寺の十二神将は単躯でもそれなりに見応えがあるのだけども・・・・。そして①~④の5躯以外は全て康円・作!⑥愛染明王は均整が取れてるが運慶・湛慶の力動感なし、と説明文で叩かれてる・・・・そんなに辛口批評しなくても、といつも思ってしまう。まぁ、運慶の孫であることの宿命か・・・・頑張れ、康円!と言ってもこれ以上は頑張りようはないが。

⑦~⑪文殊五尊は、文殊菩薩と従者で別々になってて、文殊も獅子から降りてたがこの展示方法で見るのは初めて。文殊の光背も今回初めて目の前で見ることができ、下部の左右に迦陵頻伽(かりょうびんが)が舞ってて優雅な雰囲気、上部には五つの梵字が配置されてて中央が文殊の梵字である「マン」だったので恐らく五尊を表してるものと想像。文殊の髪型は五髻になっていて、それぞれの髻に如来が乗っかってるのことに初めて気づいた(今更)・・・・いつも髪先が尖ってるなぁとは思っていたのだが・・・・・五髻は五智五仏を表してる、との事。

運慶仏×2躯、康円仏×8躯が一堂に・・・・贅沢な空間、是非来年以降も続けてほしい。
(この展示は17日まで)


◆1室/3室/T1室
その他の部屋にもいくつか・・・・1室の薬師如来は平安仏。3室の地蔵菩薩(浄瑠璃寺)はなかなかのイケメン地蔵、浄瑠璃寺には九体阿弥陀堂にも地蔵菩薩がいるがあちらは《子安地蔵》で、こちらは《延命地蔵》。特別1室は『秋の特別公開 贈られた名品』と銘打って寄贈品を展示。阿弥陀如来は鎌倉時代の永仙という仏師の作、三尺阿弥陀だが慶派とは違った趣き。



総合文化展(平常展)でもこれだけ見れれば大満足。康円は残存する仏像が多いものの小ぶりな作品が殆どで動きがまとまり過ぎてるという理由で今ひとつ評価が高くない。できれば<世田谷観音・不動明王および八大童子も合わせて展示してもらえればその実力のほどがわかろうというもの。運慶の父・康慶の興福寺・不空羂索観音坐像、運慶の息子・湛慶の三十三間堂・千手観音坐像のような大作があれば、運慶の孫・康円としてもう少し評価されるかも。

東京初!近江路の神と仏展

奈良国立博物館の『頼朝と重源』展では展示替えにより快慶・作の大日如来(石山寺)が不在でガッカリ。しかし運良く東京にやってきてくれたので、早速行ってみた。

三井記念美術館
琵琶湖をめぐる 近江路の神と仏 名宝展
東京(巡回しません)ってポスターに書いてある。この美術館に来たのは約2年ぶり、『奈良の古寺と仏像展~會津八一のうたにのせて~』展以来。地下鉄銀座線・三越前駅と直結してるので電車から降りて上に行けばすぐ美術館という便利なところ(前回は東京駅からだいぶ歩いたような記憶が・・・) 入館して最初のエリアは金銅仏や仏具など・・・・一気にターゲットである展示室4まで進んで仏ゾーンへ。
まず入って右側、①如意輪観音からスタート。③阿弥陀如来の解説で造像時期について「藤末鎌初」とある・・・・藤原末期~鎌倉初期ということだと思うが、この言い方は初めて目にした・・・・で肝心の阿弥陀仏はあまり記憶なし。


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千手観音あたりから近江っぽい感じに・・・・地方仏特有の泥臭さは無いが、京仏・奈良仏に比べて質素というか・・・・表現が難しいが書籍で近江仏を見てきたイメージがあるので、それにマッチしてきたような・・・・続いて近江と言えば「白洲正子」、白洲正子と言えば「十一面観音」、ということで十一面観音が4躯並ぶ。中でも⑦飯道寺仏は大きな特徴はないものの均整が取れてて一番よかった。隣の⑧円満寺仏は頭上面の彫りが荒く数珠つなぎになってる感じ。⑨櫟野寺仏は頭上面が欠失。

後半は不動明王が2躯、十九観の⑬不動(延暦寺)、大師様の⑭不動(園城寺)。この辺りから今日のメイン仏へ・・・・・まずは⑮地蔵菩薩は快慶の弟子である栄快・作、クールな表情のイケメン地蔵だった。続いて楽しみにしていた2躯、⑯薬師如来(西教寺)は『日本の美術~京都の鎌倉時代彫刻』の表紙になっていたので気になっていた。量感はあるが、目がキリッとしいて精悍な感じがする。薬壺を胸前に掲げるのは獅子窟寺の薬師と似ている。元々は宝珠を持っていたらしいが、そうなると益々同じ。そして快慶・作の⑰大日如来(石山寺)。阿弥陀仏以外の快慶の如来像は初めて。快慶の初期仏とのことだが、そうなると運慶の初期仏である円成寺・大日如来ともどうしても比べたくなってしまう。並べてみると・・・・・

・・・・体躯の幅や衣文線、印を結ぶ位置、髻の高さなどほぼ同じ仕様に思える。どちらがいい悪いはないが、並べると運慶仏のほうが存在感は感じるかも。ただ、この展示の中では快慶の大日如来の存在感がピカイチなのは間違いなし!隣の西教寺・薬師の衣文線もどことなく快慶・大日のものに似通っており、顔付きや体躯からして書いてはいないがこれは慶派・作。この2躯だけでも来た甲斐あり。

最後に本地仏として4躯の如来・菩薩が並んでいたが、どれも眼がはれぼったい感じ。作風はほぼ同じでオリジナルは12躯あったようだが、現在は9躯あるとのこと・・・・9躯並んでたら圧巻なのではないかと・・・・千手の各手の丁寧な作りと頭上面の細かい彫りは見るべきものがあり、隣の十一面観音は逆にやや雑な感じがした。

3周ほどグルグル回って退館。またひとつ快慶仏を見ることが叶って良かった。階下では写真パネル展(無料)が開催されており、十二神将の写真が目にとまった。近江・・・・侮りがたし。


続いて、前回同様に東博へ・・・・・

初めての宿坊

引き続き、高野山ネタ。今回初めて宿坊に滞在。宿泊したのは遍照光院。17時前にチェックイン(実際には午前中に一度来て荷物を預けてあったが)。

玄関入って最初に寺務所で受付け、その後長い廊下を進んで本堂脇を通って宿坊エリアへ。部屋は8畳くらい+奥に板間(洗面)と本当に普通の旅館の作りと同じ。テレビ完備、歯ブラシ・浴衣あり(タオルは無し)、トイレ付き(予約時はトイレ無しと聞いていたが)。ただ、部屋の鍵は無し、小型の金庫が置いてあるだけ・・・・性善説で考えれば寺に来る人には悪い人はいない(筈)。冷蔵庫は無かった、確か。よくビジネスホテルに聖書が置いてあったりするが、こちらには仏教典っぽいのがあった(中を見てくるのを忘れてたが)。案内してくれた方は作務衣を着てたが長髪で学生アルバイトっぽい人。日中外は暑かったが、部屋の中は扇風機で十分。さすがお寺だけあって部屋も廊下も小奇麗。部屋の窓から見える古い土蔵が少し怖い感じ。

食事前に入浴。浴槽は4~5人入れるくらいの広さ、2~3人いたが狭い感じはしなかった。シャンプー・ボディソープあり。18時から夕食、部屋単位で別の個室に案内される。内容は勿論、精進料理。味は可もなく不可もなく。ビールも注文可。

夕食の後、外をブラリと散歩・・・・19時くらいでもまだ明るい。遍照光院は奥之院参道入口である一の橋に近いが、時間も時間なので開いてる店もなく、人も殆ど見かけず。別の宿坊から外国人グループが出てきて奥之院のほうに歩いて行ったが・・・・帰りの参道は怖いんじゃないの、と少し心配になった。部屋に戻ると布団が敷いてあった。あまりやる事もなくテレビを見ながら撮った写真など眺めつつ一日を回想。一日中歩き回ってたこともあり22時前には就寝。

早く寝たせいか翌日は5時過ぎに起床。ちょっと肌寒いくらいの気温で清々しい。6:30から本堂で勤行。ここで初めて仏像と対面。その時のことは既に書いた→コチラ。勤行が終わると前日の夕食の部屋に直行し、そのまま朝食。8時過ぎにチェックアウト。

・・・・というのが初めての宿坊体験の一部始終・・・・何のことはない、勤行以外は普通の宿泊と何ら変わり無し。印象としては表現が悪いかもしれないが、仏像拝観特典付きの旅館といった感じ。あまりお寺に泊まってきたという感覚がない。他の宿坊ではお寺の方が玄関までお見送り、客が門を出るところで再度お辞儀をされていたが、遍照光院はそのあたり省略(自分たちだけたまたま無かったのかも)。今後また宿坊に泊まりたいか・・・というと敢えて宿坊は選択しないかもしれないが、高野山には再訪予定なので、その時また宿坊にお世話になると思う。

高野山の仏塔

8月17~18日は初・高野山だったが、探仏の他にも仏塔を楽しみにしていた。ガイドブックやブログなどを見て少なくとも八基あることを確認していた(数え方合ってるか?)。全て見てくるつもりでいたが、残念ながらいくつか取りこぼした。


その前に8月16日に行った奈良・興福寺の二基。

興福寺: 五重塔〔国宝〕・三重塔〔国宝〕
奈良の定番、興福寺の五重塔は木造塔としては東寺・五重塔に次ぐ高さ。本尊は四如来(釈迦・薬師・阿弥陀・弥勒)でそれそれの両脇に菩薩(文殊/普賢、日光/月光、観音/勢至、法苑林/大妙相)。南円堂から階段を下りたところにある三重塔も国宝。本尊は多臂弁才天。


さて本題の高野山。

壇上伽藍: 西塔・根本大塔・東塔
根本大塔と西塔は対をなしており、本尊はそれぞれ五智如来。根本大塔は胎蔵界大日如来+金剛界四如来、西塔は金剛界大日如来+胎蔵界四如来という変わった組合せ。東塔は二基に比べると小ぶり、本尊は尊勝仏頂尊で、両脇侍に不動明王と降三世明王。


壇上伽藍: 六角経蔵
紺紙金泥一切経を収めるための経蔵。


金剛三昧院: 多宝塔〔国宝〕
一番楽しみにしていたのだが、工事中でよく見れずガッカリ。多宝塔では一、二位の優美さを誇る・・・・ところが見れるはずだった(石山寺の多宝塔と双璧)。本尊は五智如来で秘仏。


南院: 仏舎利塔
波切不動尊で有名な南院。塔は外から偶然見えたので寄ってみた。スリランカから贈られた仏舎利を奉納するための仏舎利塔、二階は弥勒曼荼羅があるらしい。


金輪塔
南院からも近く、徳川家霊台の道向かいにある多宝塔・・・・特にどこかの寺院に属してるわけでも無さそうで、公園になってる。本尊は金輪仏頂尊。元々この辺りに壇上伽藍の国宝・不動堂があったらしい。


成福院: 摩尼宝塔
宿泊した遍照光院の近くにあった。ビルマから贈呈された釈迦仏像と大蔵経を奉納。

この他に、龍光院の裏手にある瑜祇塔(ゆぎとう)は、金輪塔や南院の後に行こうと思ってて忘れてた・・・・相輪が五本あるらしい。また、快慶の阿弥陀三尊のある光台院に多宝塔があったのだが、訪問の際に仏像だけ拝観して出てきてしまった。この二基を見ていたら高野山仏塔群はコンプリートだったかも。

さて、高野山で一番の仏塔は・・・・金剛三昧院の多宝塔!と本来はなるはずだったが残念ながら良く見れなかったので、それ以外となると壇上伽藍の根本大塔がコンクリート製ながらその大きさと鮮やかさで印象に残る。西塔も良かったが若干古っぽい感じがしていささか洗練さに欠ける。


何だかんだで興福寺の五重塔が一番いいなぁ。

関西旅行(3日目): ③大阪・道明寺 〔完〕

いよいよ旅の終盤、新大阪に行く前に少し寄り道。


道明寺
「道明寺」といえば和菓子?原料となってる道明寺粉はこちらが発祥とか。

毎月18日・25日は国宝・十一面観音の御開帳。18日に大阪にいるんだから行かない手はないと思い寄ってみた。道明寺駅から徒歩10分弱だが、高野山と違って蒸し暑くて閉口。

拝観料を払って本堂に上がると既に尼さんの説明が始まってた(ここは尼寺)。一通り説明が終わると拝観タイム。前のほうに進んで間近で拝観可能。薄暗いのでわかりづらいが、小ぶりながら端正な顔立ち、少しポッチャリ体型。正直なところあまりインパクトはなかったが、洗練された良仏という印象。

国宝の十一面観音は全7躯あるが、これまで室生寺・聖林寺・法華寺の3駆を拝観しているので、これで4駆目(他は観音寺・向源寺・六波羅蜜寺)。堂内の後方には他に釈迦三尊・勢至菩薩・太子像・別の十一面観音・大黒天など様々な仏像がおかれていたが・・・・・実はあまり覚えていない。

しばらくして雲行きが怪しくなってきて、遠くで雷が鳴り始めたので退散することに。駅に向かう途中でポツポツと雨が降り始め、駅に到着したと同時にものすごい勢いのゲリラ豪雨となった・・・・間一髪セーフ。この後、同じく毎月18日開帳の葛井寺で国宝・千手観音を拝観する予定だったが、ドシャ降りの中、駅から歩く気もせず、今回はご縁がなかったということでパス。

これより後は近鉄線で雷による信号故障が発生し数分停車、その後のJR線であと一駅というところでこちらも信号故障で運転再開見通し立たず、別路線への振替えとなり・・・・という事態になりこれ以上どこか寄るのは困難と判断。これにて2泊3日の関西旅行は幕引き。

今回の旅行では、やはり2日目の高野山が初めてということもあってか印象深い。八大童子が全部揃って展示される時には再訪しようと今から決めている。

やっと全部書き終わったけど、もう2週間前のことだし、既に仕事にも戻っているので、だいぶ昔の出来事のように感じる今日この頃・・・・

関西旅行(3日目): ②高野山・奥之院~苅萱堂

宿坊・遍照光院を辞した後、東に数分歩くと参道入口である一の橋に到着。

奥之院

名だたる武将の墓標や供養塔が立ち並ぶ。
武田信玄・勝頼親子の供養塔の道向かいには上杉廟。

この日も暑かったが、木立ちの中なのでそれほど暑さは感じない。

あちこちの武将の供養碑をチェックしながら30分以上かけて一番奥の御廟橋に到着。
ここから先は聖域のため撮影は禁止。奥に見えるのが弘法大師御廟。

この後、燈籠堂でお参りをし、お堂の外をグルッと周って戻ってきた。

再び御廟橋を渡って戻る。護摩堂には不動明王、奥には水向地蔵。
この手前には御供所があり、ここから毎日2回弘法大師へ食事が運ばれてる。
これが1200年続いてる?・・・・実際に見ることはできなかったが凄いこと。
復路は別の参道を通ったが企業系の供養塔が多く、しかも直射日光で暑い・・・・

高野山の二大聖地である壇上伽藍と奥之院
・・・・・壇上伽藍は良く覚えているのだが、奥之院はお参りしてきた印象しか
残ってない。せっかくの神聖な雰囲気を体があまり覚えていないのが残念。
まだまだ修行が足りない・・・・


バス停に到着し、ちょうどバスが来たので宿坊付近まで戻って次はこちら。


苅萱堂

苅萱道心(かるかやどうしん)という僧侶が、石童丸(いしどうまる)と修行したところ。
二人は実の親子ながら互いに名乗りをせず修行に明け暮れた・・・・詳しくはWEBで。

堂内一周でこの物語を絵解きしている。非常にわかりやすい。
最後に二人が地蔵菩薩を彫るところで終わり、一番最後にその実仏があるという流れ。
絵では立像だったが、実仏は坐像だった・・・・という細かいところはどうでもよい。

この後、入口と同じところに出てきたので退堂しようとしたが、入る時に読経していた
お坊さんと、お守りなどを販売している方の二人から同時に声をかけられ、
「うちは他より安い」とか「毎日ここで祈りを込めてる」とかセールストークが炸裂。
何とか切り抜けようと頑張ったが結局陥落。お守りひとつ購入してその場を後にした。
(弱いなぁ・・・・まぁ拝観料とかもなかったのでこの位しないとね。)

これで高野山の旅は終了。バスで高野山駅まで向い再び大阪へと戻った。